良いカウンセリングの実例を見ることが大事
カウンセリングを学ぶためには、理論を学ぶことも大切ですが、実際のカウンセリング体験が重要だと思います。
自分自身がカウンセリングを受けて、どのように自分が変わっていくのかを体験することは、何よりもカウンセリングが上手くなるコツです。
ですが、それだと「カウンセリングを受けなさい」ということしかできません。
はじめてカウンセリングを受けるのが、なんだかドキドキしてちょっと怖い。これからカウンセリングを受ける人の中には、そういう人もたくさんいると思います。
そこで、実際にどういうカウンセリングがいいカウンセリングなのか、実例を紹介したいと思います。
カール・ロジャーズさんのカウンセリング
すべてはここからはじまった!現代カウンセリングの基礎はどうやって生まれたのか?
カウンセリングを学ぶ人は、ほとんど全員といっていいほど、どのように相談者さんの話を聞くのかという「傾聴」の態度から学びはじめます。
いや、カウンセリングだけでなく、教育、会社の管理職、スポーツの指導員などでも、傾聴は必須といえるスキルになってきています。
実際、管理職研修で傾聴は人気の講座です。
では、その傾聴はどのようにして生まれたのでしょうか?
現代カウンセリングの基礎となる傾聴を生み出した、カール・ロジャーズさんのカウンセリングを見てみましょう。
現代カウンセリングの歴史を二つに分けるとすると、ロジャーズさん以前とロジャーズさん以降になると僕は思います。
それくらいロジャーズさんの与えた影響は大きいです。
ロジャーズさん以前のカウンセリングとは、精神科医や心理学者が問題を抱える人に対して、心理検査や生育歴を調べたりして、客観的に専門家としての助言や指示を与えることでした。
悩んでいる本人が答えを見つけるのではなく、精神科医や心理学者が「こうやったら問題は解決する。だから、こうやりなさい」と、正しい答えを指示するのが一般的でした。
科学的知見から出された助言や指示だから、それが正しいと思われていたのです。
そして、精神科医や心理学者は、心の専門家として客観的に距離を取って関わるのが普通で、暖かく人間的なコミュニケーションを取ることは少なかったようです。
わかりやすくいうと昔の精神科医や心理学者は、今よりずっと権威的で偉そうな人が多かったのでしょう。
ロジャーズさんも若いころは、決して偉そうではないものの、客観的に関わり専門家としての指示や助言をしていたそうです。
でも、ロジャーズさんがニューヨークのロチェスターにある児童研究所の職員になったとき、臨床家として壁にぶち当たります。
そこは地域住民の移動があまりない場所だったので、その後の経過を嫌でも直視せざるをえなかったのです。
ロジャーズさんは自分の指示や助言が、「必ずしも役立っていなかった」ことに直面しました。
そして、ロジャーズさんの考えを大きく変える、あるカウンセリング場面がおきました。
児童研究所が再編成され、ロジャーズさんは新しく独立したロチェスター相談所の所長になりました。
そんなロジャーズさんのところに、一人の知的な母親が、乱暴な少年を連れてきました。
ロジャーズさんは生育歴を聞き、もう一人の臨床心理士が少年を心理検査したそうです。
そして専門家達で会議が開かれ、母親が少年の幼少期に心理的な拒否をしていたのが原因だということで、意見が一致しました。
ロジャーズさんは、母親の担当となりました。もう一人の臨床心理士が、少年の遊戯治療にあたりました。
ロジャーズさんはおだやかな態度で、
「母親に彼女の拒否的な態度が少年の問題行動を起こす要因になっている、それをちゃんと見つめるように」
と根気強く指示や助言をしたそうです。
ですが、その指示や助言は役に立ちませんでした。
およそ12回の面接後、ロジャーズさんは母親に、
「お互いにがんばったのだけれども、どうもこのカウンセリングは上手くいっていない。何も得られていない。
もうカウンセリングを打ち切った方がいいのではないだろうか」
そう伝えたそうです。
これは本当に悩ましい場面だったと思います。
当時の心理職は権威的な立場だったにも関わらず、自分の指示や助言が役に立っていないと、正直で誠実に話したのです。
ところが、ここで大きな変化が起こります。
カウンセリングの終結に母親が同意し、席を立って面接室から出て行こうとしたときに、くるりとロジャーズさんの方を振り返り、こういったそうです。
「先生、ここでは、子育ての相談ではなく、大人である私自身のためのカウンセリングをしていただくことはできませんか」。
ロジャーズさんはすごく驚いて、「イエス」と答えたそうです。
すると母親は、いま立ち上がったばかりの席に戻って、
「実は、夫婦関係に大きな問題を抱えているんです。そのことを相談してもいいでしょうか?」。
そんなことを語り出したそうです。
その話は、ロジャーズさんがいままで12回もかけて行ったカウンセリングで聞いた話と全く違う内容で、大きなショックを受けたそうです。
ロジャーズさんはどうしたらいいのかわからず、ただ、母親の話を聞き続けていました。
そういうカウンセリングが何度か続き、彼女の夫婦関係は改善されていきました。
そして、彼女が自分自身の心をありのままに受け入れていくに従い、少年の問題行動も消えていったそうです。
そのときのことを、ロジャーズさんはこう語っておられます。
====================
これは私にとって、決定的な学習体験でした。私は、自分の考えに従うのでなく彼女についていったのです。
私が到達した診断的理解に彼女を導く代わりに、ただ聞いていたのです。
それは専門的関わり合いというよりは、個人と個人との関わり合いに近かったのです。しかも結果はお話ししたとおりでした。
引用『人間尊重の心理学』わが人生と思想を語る
著 カール・ロジャーズ 訳 畠瀬 直子
※WEBで読みやすいように改行を増やしています。
====================
相談者さん自身の心の問題については、相談者さん自身が一番よく知っている。
そして、どうすれば今の問題が解決するのか、いまはまだその相談者さん自身も意識できないかもしれないけれど、必ずその人の生命的叡智の中に答えが眠っている。
専門家の知識や診断を押しつけては、その人の中に眠っている問題を解決する力をも、押さえつけてしまうことになる。
それでは心理的支援は、逆効果になってしまう。
まずは、本人の中にある心理的自己治癒能力を活かすことが、なによりも大事なことだ。
だから、まずは相談者さん自身の話をしっかりと聴こう。
そして、その人が自分なりの答えにたどり着けるように、その人の考えを尊重しよう。
その人が失敗への恐れや自信のなさから不安におびえ、防衛的になっては自分の考えを表に出すことができなくなってしまう。
それでは、本人の中にある心理的自己治癒能力を活かすことができない。
だから、なるべく暖かく何をいっても大丈夫という空気感で、カウンセリングルームを満たしていこう。
カウンセリングルームの中では、どんなことをいってどんな表現をしても大丈夫という、心理的安全を感じられるようにしよう。
もちろん、あまりにも深刻な病状であれば、専門家による早急な介入が必要なこともある。
でも、基本的にほとんどの場合、相談者さん自身が自分で答えにたどり着いた方が、問題が解決する可能性が高くスピードも速い。
また、もしまったく同じ答えにたどり着いたとしても、外から専門家が指示や助言をしても、なかなかそれを受け入れて実行してくれないことが多い。
それにくらべて、自分自身で答えにたどり着いた場合、行動が変化していく可能性はとても大きくなる。
たとえば生活習慣病の場合、たばこやお酒、高カロリーな食事をやめなければいけないと専門家やまわりの人は指示や助言をします。
でも、それを受け入れて行動変容してもらうのは、本当に難しいことです。
そもそも、たばこやお酒、高カロリーな食事をやめなきゃいけないなんてことは、本人だって重々承知なことなのです。
でも、「わかっちゃいるけどやめられない」。
それも人間らしい一つの側面なのは、カウンセラーである僕たちだって、自分の人生を振り返れば痛いほどよくわかる事実です。
そういうとき、ロジャーズさんの流れをくむ動機づけ面接というカウンセリングでは、その本人の話を深く深く聴いていきます。
そのことによって、心理的自己治癒能力が働いて本人の口から自然と変化の言葉が出てくるように支援していきます。
「そうなんですよ。考えてみれば、私だけの体じゃないんですよね。
私が体を壊したら、妻や子供を困らせることになってしまう。
そうなるのは嫌だっていうのは、それは本当にその通りなんですよね」
そういう言葉が本人の口から自然と出てくるように、本人の心理的自己治癒能力を発揮しやすい空間を作っていくことが、傾聴の本質でありカウンセラーの仕事なのです。
そしてこういう考え方は、現代では心理カウンセリングに限らず、教育、産業、夫婦関係の改善、スポーツなどで取り入れられるようになりました。
ロジャーズさん自身、これは心理カウンセリングの場面だけでなく、あらゆる人間関係にとって有益だと考え、研究し、発信していきました。
2021年東京オリンピック、ある競技の日本の選手達が、先輩、後輩、コーチなど関係なくため口で話し合い、互いの意見を尊重しあっていたそうです。
そして、チーム一丸となった結果、とてもいい成績を出したのを僕はテレビで見ました。
ロジャーズさんのあの体験からの発見が、こんなに遠い日本でちゃんと実践されている時代になっている。
そのことに、本当に驚かされます。
そして、それが本当に一番結果を出しているということを、あらためてすごいことだと思います。
傾聴により相手の意志や考えを尊重し、本人の心理的自己治癒能力を高めることが、一番よい結果になるし、変化するスピードも早い。
これは「きれいごとではなく、事実」なのです。
だから、まずは傾聴をしっかりと身につけて欲しいと思います。
傾聴ができなければ、相談者さんとの信頼関係を築くことができません。
相談者さんとの信頼関係がなければ、表面的な会話に終わってしまい、今抱えている本当の苦悩を話してくれません。
本当の苦悩を話してくれなければ、問題など解決するはずがありません。
僕は技法や指示・助言が必要ないとは思いません。それがあった方がスムーズに進むときも、たしかにあります。
ですが、それはあくまでも心理的安全が確保されたと感じられる暖かい雰囲気が、傾聴によって作り出された後の話です。
あらゆる技法も、傾聴ができなければ役に立たないですからね。
僕自身も、いろんな技法を使ってみたけれど、傾聴ができていないとダメでした。
それどころか、年数を重ね、傾聴が上手くできるようになると、技法が不必要になってきました。
「カウンセリングは傾聴に始まり、傾聴に終わる」。
この言葉をしっかりと心に刻み込んでいただければ、とてもうれしく思います。
おまけ
ちなみにフロイトさんが作った精神分析は、自由連想法を使います。
頭に思い浮かんだことをどんなことでも秘密にしないで話してくださいというものです。
ただ、そこから精神分析家が無意識を分析し、助言、アドバイスをします。
現代では違いますが、昔の精神分析では患者が何か自分の意見を言っても、
「それはあなたの無意識の防衛です」
と否定されたそうです。
元々フロイトさんは催眠療法をやっていたのですが、それがなかなかうまくいかなかったようです。
そのときにある患者さんから、「私の思考の流れを質問で邪魔しないでください」といわれたのだとか。
それが自由連想法が生まれるきっかけになったそうです
このエピソードそのものは、ロジャーズさんのエピソードと似ているように感じます。
でも、まったく違う方向に進化していったのは、二人の考え方の違いもあるのでしょうが、時代背景も大きいのかもしれません。
今では信じられないことですが、精神分析が出てきた当時、性に関して話すことはタブーでした。
それを考えると本当に性的に抑圧されていた人も相当な数がいたのは間違いがありません。
なので、性について自由連想法をすることで実際に治った人がそれなりにいたんじゃないのかなと、妄想してしまいます。
いまは精神分析もずいぶんと変わって、ロジャーズさんと同じように温かい人間関係を大事にしています。
根本的な理論は違っても、時代に合わせてどの心理療法も似たような形になってくるのは、とても面白いことだなと思います。
おまけの参考文献 『初めてのカウンセリング入門 下 ほんものの傾聴を学ぶ』 著 諸富祥彦 誠心書房
畠瀬直子先生と僕のカウンセリング
二つ目に紹介したい事例は、僕と畠瀬先生のカウンセリングです。
スーパービジョンといいながら、やはり相談していると自分の個人的な問題が出てきます。
先生にはそういうことも、ずいぶんと相談させていただきました。
僕は30歳を過ぎたころ、とても大きな問題を抱えていました。
僕は同じような問題を、それまでの人生で何度も繰り返していました。
それは僕の人生にとって、乗り越えるべきとても大きな壁でした。
そのことについて先生に相談するのは、初めてでした。
30を過ぎるまでこじらせ続けた問題ですから、そう簡単に解決するものではありません。
僕はなかなか自分を内省することができず、鬱々としたまま話すもののいつも堂々巡りになっていました。
5~6回ほど、カウンセリングが過ぎました。
とても大きく深刻で、僕の人生を左右するような問題です。
先生は余計な口出しは一切せずに、ずっと僕の話を聴いていました。
僕は何かをいってもらいたいような気持もあったような、でも、何かいってもらったところでなにがどうなるわけでもなく、こればかりは自分で考えなきゃいけないと思っていました。
実際、何かを意見いわれたところで、その意見に対して「でも、そうはいいますけど…」といっていたと思います。
本当に、長い長い暗い時間を過ごしました。
あれから十数年以上経った今になると、「ああ、あれって、たったの5~6回のカウンセリングだったのか」と思います。
でも、当時の自分にとっては、本当に暗く長いトンネルのような時間で、「ここから抜け出せる日などあるのだろうか、一生この問題は解決しないのではないか」と、暗い気持ちになっていました。
なにせ、当時の僕にとっては小さなころから30歳を過ぎてもずっと引きずってきた問題だったのです。
だから、自分自身ではなんとも見通しを立てられなかったのです。
毎回のカウンセリングが暗い面持ちのまま進み、前進しているのかどうかもわからないままで、いつも時間を延長してしまってなんだか申し訳なくなりました。
でも、この問題について相談した最後のカウンセリングのときのことは、映像で録画でもしたかのようにしっかりと脳裏に焼き付いています。
僕は暗い面持ちのまま、「先生、いつも長くなってしまって、すみません」といって席を立とうとしました。
すると、先生は自分の喉仏のあたりに手のひらを水平に持っていき、「やめておいた方がいいって、ここまで出そうになっているわ」とおっしゃいました。
その言葉を聞いて、僕はなんだかすごく気が楽になって、思わずニコッと笑ってしまいました。
42歳の今になっても、人生であれほど気が楽になる変化は他にありません。
おそらく先生は、初めて僕の相談を聴いた時からそう思っていたのでしょう。
いまになって考えると、誰が聴いても「それはやめておいた方がいい」という内容だったと思います。
でも、気軽に口を挟んでいい問題ではなかったし、僕が自分で考える機会を奪ってはいけないし、本当に熟慮に熟慮を重ねてくれたのだと思います。
なんとも理屈ではうまくいえないのですが、あれがもう一回早いカウンセリングでもダメだったし、もう一回遅いカウンセリングでもダメだったのです。
しかも、僕が席を立とうとしたあの瞬間だったから、良かったのだと思うのです。
僕の心の準備が整うのを、本当に忍耐強く待ってくれたのだなと、今となって振り返ると思います。
実際、あれから10年以上経つのですが、やめておいてよかったと本当に思います。
そして、あれ以来、僕は同じような問題を繰り返すことはなくなりました。
こうやって自分が受けたカウンセリングを振り返ると、一番難しいだろうなと感じるポイントは、僕の心の準備ができて機が熟したタイミングを、先生はどうやって判断したのかというところです。
こればっかりは経験的な勘が大きいのでしょう。
ただ、このときの先生の表現、喉仏のあたりに手のひらを水平に持っていき、「やめておいた方がいいって、ここまで出そうになっているわ」という表現は、とてもうまい表現だなと思います。
というのも、この表現の裏に、
「本来、カウンセラーとしては口を出すべきかどうか迷う。
あなたもカウンセリングを学んでいるのだから、それは十分にわかっていると思う。
でも、それでもこの問題に関しては、ほんの少し私の意見を伝えた方がいいんじゃないかしら。
だから、もしあなたの考えに反するようなら、どうぞ遠慮なく聞き流してちょうだいね」
そんなメッセージを感じたのです。
実際、僕自身も相談者さんに何か自分の意見や考えを伝えなきゃいけないときが、あります。
相談者さんからズバリ、「中越さんがどう思うのか、率直な意見を教えてほしい」といわれることが、たまにあるのです。
「これはあくまで僕が個人的に感じたことなので、もし間違っていたら遠慮なく違うといってくださいね。
その方がよりAさんに対する理解が深まって、よりカウンセリングがスムーズに進みますから。
今まで何度かお話を聞かせていただいて僕が感じたことは、Aさん自身、こうこうこうでこう思ってらっしゃるから、こうした方がいいって思ってらっしゃるんじゃないかなって感じたんです。
もしそうであれば、僕はその考え方に賛成です。
ただ、これはあくまで僕が個人的に感じたことなので、そのあたりAさんはご自身でどう感じますか?」
と、こんな感じで伝えています。
これはこれで、丁寧で良いやり方だなと思います。
今までの相談者さんの話を要約して、伝え返し、必要であればそこに僕が感じた意見をほんの少し入れる方法です。
相手の話をちゃんと理解できているか確認できると同時に、相手は自分の考えを鏡のように見ることができます。
そのうえで、その相談者さんのポジティブな側面に「賛成です」という言葉で光を当てています。
カウンセリングを学びはじめた人にとっては、マネをしやすいんじゃないかと思います。
ただ、かなり長ったらしくてあまりスマートじゃないというか、回りくどくて説明くさいのです。
それにくらべて、喉仏のあたりに手のひらを水平に持っていき、「やめておいた方がいいって、ここまで出そうになっているわ」という表現は、なんともスマートです。
なにより、目の前にいる僕という相談者さんに対しては、この表現が良いという判断があったのでしょう。
僕のやり方の場合、初回から3回目くらいの相談者さんの場合、丁寧でいいのかもしれません。
でも、長いつきあいになる相談者さんに対して、あまりに丁寧で回りくどい言い方では、逆効果になるかもしれません。
「さすがに、それくらいわかっているよ。このカウンセラーはまだ自分のことを信頼してくれていないのかな」と思われるかもしれません。
こういう部分は本当にケースバイケースで、そのときのその相談者さんにあった、そのときの雰囲気に合った表現をした方がいいです。
ここは本当にアドリブで、経験から来る勘がものをいうところなのです。
さて、ここまでは先生の発言に注目してお話ししました。
でも、決して忘れないでほしいのは、それは深い傾聴があったからできることなのです。
先生は、僕が難しいカウンセリングを担当して、専門的知識や経験を必要としているときは、ちゃんとすぐに助言をくれました。
でも、このときのように、僕自身が何か問題を抱えているときは、しっかりと深く僕の話を聴いて、どれだけ沈黙が続いても、僕の思索を邪魔することはありませんでした。
特にこの問題のときは、99,9%が傾聴だったと思います。
そして、その深い傾聴があってからの、喉仏のあたりに手のひらを水平に持っていき、「やめておいた方がいいって、ここまで出そうになっているわ」だから、意味があるのです。
たとえ、まったく同じ言葉でまったく同じ表現をしても、その言葉や表現が相手に伝えるメッセージは、まったく変わってきます。
正確には、深く傾聴するという態度そのものが、一つの表現でありメッセージになっているのです。
「私はあなたの話を深く深く聴いて、しっかりと理解をした上で、あなたの考えを尊重できる形で、一緒に考えていきたい」。
傾聴はそれを表現しているのです。
そんな傾聴の態度がなければ、どのような言葉を発したとしても、相手の心に届くことはまずありません。
これからカウンセリングを学ぶ人は、そのことをしっかりと覚えていてくれると、とてもうれしく思います。
村瀬嘉代子先生の場合
これは村瀬嘉代子先生が精神鑑定をした時の話です。
僕は公認心理師の現任者講習会でこの話を聴いて、とてもいいケースだと思い、本屋さんに探しに行きました。
そしたら、すぐに見つかりました。
こういう調べ物って、いつもすごく時間がかかるのでラッキーでした。
結構、重い話なのですが、さっそく、紹介したいと思います。
26歳のAさんが、夫の愛情が冷めたと絶望して自分の子供を殺し、その後、自分も自殺しようとしました。
でも、未遂に終わり殺人罪で起訴されました。
最初、他の心理師の鑑定では、各種心理テストにほとんど反応せず、緘黙、無表情、無為の態度で通していたそうです。
わかりやすくいうと、何を質問されても何を言われても、ほぼ無反応だったのです。
Aさんは小中学生の時から断続的に不登校になり、学校嫌いで中学を中退しています。
心理テストへの反応やそういう事実から考えると、児童期から少しずつ統合失調症が進行していたのかもしれないと判断されたそうです。
でも、うつ病と統合失調症の鑑別基準の問題や、事件発生前のAさんの行動に必ずしも奇異が目立っていなかったので、再鑑定することになりました。
そして村瀬先生が担当することになったそうです。
村瀬先生は自己紹介をしたあと、いろいろな心理テストをしようとするのですが、Aさんは固い表情のまま「わかんない」を繰り返します。
バウムテスト(木を描くテスト)をしようと思って紙とえんぴつを渡しても、棒付き三角あめ様の図形?を描いてつきかえすなど、文字通りとりつくしまもなかったようです。
ここからの展開がとても興味深いので、引用したいと思います。
webだと文字が詰まって読みづらいかも知れませんが、本当に興味深いのでぜひ読んでみてください。
==================
データがとれなければとれないでよし、テスターとしての面目は二の次と決心し、用具を片付けながらふと
「今まで、幾度も重ねていろいろな人に尋ねられ、あなたとしては事件以前に事態が元に戻るはずもないし、もう想い出したくない、考えたくないのでしょうね。
何か決めるのなら決めてくれらという気持ちかしら、辛いのでしょうね……。
そう、今のこういうことでなくて、いろいろわずらわしい大人の世界に入る前の屈託ない子どもの頃を想い出して、楽しかったこと、あのときの自分に帰れたらなあということなのですか。」と問うた。
意外なことに、A女は声の調子、語り口が急に子どもっぽくなり
「楽しかったことなんかひとつもない、病気のときお母さんが世話してくれたの覚えてる、でもそのお母さんも九歳の時に死んで、あとは弟や妹のお守りのために学校休ませられた。
休んでるうちに、勉強もわからなくなり、学校嫌いになった……。
小さいときから子どもの世話と家の手伝いばかりでもうたくさんと思ってた。
自分は化粧も下手で何につけてもかわいくない、夫は自分を嫌ってるように思えたし…… 自分なんかに育てられる子どもも可哀そうだ いっそ自分も子どもも死んじゃった方が…… 夫への腹いせに……」
と話し始め、それまではできない、わからないと答えていたWAIS(知能検査)、ロールシャッハテストにすらすら反応しはじめたのであった。
この結果、A女は経験、学習不足による潜在能力発揮不振の傾向、著しく低い自尊感情に基づく軽度の念慮傾向及び情緒の不安定さが基底にあり、それらを護るために殻にこもり感情抑制を行う傾向が認められたが、孤独の殻に包まれた内面は一応の事理常識のわきまえがあり、無感動、アパシーな外見と裏腹に、強い情愛渇望がうかがわれた。
(この事件の予後:事件発生の直後の時点で、離婚を決意していた夫は審理の進行につれ、次第にA女の内面を理解する努力を始め、親族の反対にもかかわらず、A女の罪は自分の罪でもあると、判決後(実刑七年)、A女の出所を待つことになった。)
『子どもの心に出会うとき』 著・村瀬嘉代子 金剛出版
※webで読みやすいように、僕が少し改行を増やしています。
==================
なんだかもう、僕がよけいな説明をしない方がいいのかなと思います。
ですが、心理検査、特に重い刑事事件の精神鑑定であっても、相手を一人の人間として関わり、相手の心情や人生を理解しようとする温かい態度が、Aさんを変えていったのは明らかです。
そして、それが連鎖するように夫の態度まで変えたのではないかと、僕は想像してしまいます。
これは心理検査、精神鑑定の場面なのですが、やはり一つのカウンセリング場面として、取り上げていいのではと思います。
本当にすごくいい話だと思います。
寿美花代さんのケース
次に紹介したいのは、寿美花代さんが受けられたカウンセリングです。
昭和の大スター高島忠夫さんとタカラジェンヌの寿美花代さん、そして息子さんの髙嶋政宏さん、高嶋政伸さんも人気俳優。まさに芸能一家。
高島忠夫さんは、僕が知るかぎりでは芸能界で一番最初にうつ病をカミングアウトした人です。
今の20代の人はびっくりするかもしれませんが、当時はうつ病をカミングアウトする人など、本当にいませんでした。
当時は心の病は、絶対に隠すものでした。とくに高島忠夫さんはとても陽気なキャラクターでしたから、うつ病をカミングアウトしたことで世間に与えたインパクトは、相当なものでした。
僕自身、高島忠夫さんの全盛期を知らない世代なのですが、「イェ~イ!」という言葉を日本に流行らせたのですから、どれだけ明るいイメージの方だったのか想像できます。
その高島忠夫さんが、うつ病という言葉がまだほとんど一般的でなかった時代にカミングアウトしたのです。
ある意味、高島忠夫さんは、日本人にうつ病が本当に身近な病気であることを、誰よりも啓発した人かもしれません。
高島忠夫さんのうつ状態は相当に重かったようで、寿美花代さんも介護で疲れ切っていたそうです。
特にある時期、自分のせいで高島忠夫さんのうつを悪化させてしまったのではと、強く自分を責めていたそうです。
医師のすすめで家族で海外旅行に行ったのですが、そのせいでうつ病が悪化。別の医師から「海外旅行なんてもってのほか」といわれたのです。
そして、介護で疲れ切った寿美花代さんを心配したまわりの人が、カウンセリングを受けることを勧めました。
そのときのことを、寿美花代さんがテレビで語ってらっしゃったのです。
僕自身もあまりに昔に見たものですし、テレビのことですから編集もあると思います。
なので、どこまで正確なのかはわかりません。それでも、「これは見事なカウンセリングだな〜」と思ったのを、今でも覚えています。
カウンセリングルームに入り、カウンセラーに案内されてソファーに座ると、その瞬間に寿美花代さんはわーわーと号泣して、そのまま1時間泣き続けたそうです。
ただただ1時間、止まることなく泣き続けたのだそうです。
そして1時間がたったとき、カウンセラーはこういったそうです。
「甘いものはお好きですか?」
「はい」
「でしたら、今から帰りに喫茶店によって、ケーキを食べて帰ってください」
寿美花代さんはいわれたとおり、帰りに喫茶店でケーキを食べました。
「そのお店でケーキを食べたら、本当においしくて。また明日から頑張ろうっていう気持ちになれたんです」
「今まで自分のために時間を使うのなんて、いったい何時ぶりのことだろう。私は自分のためにケーキを食べるヒマもないくらい、疲れ切っていたんだと気づいたんです」。
僕の記憶もかなり曖昧ではあるものの、そんなことをおっしゃっておられました。
このカウンセリング、いま思い出しても本当に見事だなと思います。
このとき担当したカウンセラーが誰なのか、知っている人がいたら教えて欲しいです。
徹底した傾聴、そしてただ側にいるというプレゼンス。
一般の方にはわからないかもしれませんが、相談者さんが1時間号泣し続けるのを傾聴するのは、本当にエネルギーを使うことです。
そして、寿美花代さんの苦しさと大変さを受け止めた上での「甘いものはお好きですか?」というセリフ。
さらに、「ケーキを食べて帰ってください」という、本当に見事な行動課題。
一般の方は、カウンセリングで行動課題を出すというと、考え方を変えたり不安を乗り越えるためのトレーニングなどをイメージするかもしれません。
たしかに、それが有効なこともあります。
ただ、マニュアルのように課題を出しても、まずうまくいきません。
もっと相談者さん自身の中から出てくる、「これなら無理なく楽しんでできそう」と思えるもの。
そういう行動課題でないと、その場限りになってしまって、相談者さんは実行してくれません。
たとえば、糖尿病の人が病院の先生から、「食事制限のために食事制限してくださいね」といわれたら、その場では「はい」というでしょう。
でも、家に帰ったらなかなか実践できないのと同じです。
だから、課題という言葉が全然似合わないくらい、本人が楽しく乗り気になれるようなものが、良い行動課題なんです。
そして、そういう行動課題は、相談者さんの話を深く深く傾聴し、いまの相談者さんの感覚をちゃんと理解した上で、一緒に考えないと出てきません。
1時間、ただただ泣き続ける寿美花代さんの側にいるという態度は、その時点で深い傾聴になっていたのでしょう。
ただただ1時間泣き続けるというのは、本当に疲れ切っていて追い詰められているからこそ、感情があふれ出たのでしょう。
そしてカウンセラーは、そんな寿美花代さんの様子を見て、「この人は本当の本当にもう疲れ切ってしまっている。ほんの少しでいいから休むことが必要だろう」。
そんなことを感じたのかもしれません。
でも、ただ無理をしないでください、休んでくださいといっても、こういうときの相談者さんというのは、なかなか耳を貸してくれません。
それどころか、「私が休んだら、その間、夫の看病は誰がするんですか!」と、反発を招いてしまうかもしれません。
だから、相談者さんが無理なく受け入れられるちゃんと実行できる具体的な行動課題を出す必要があります。
たいていの場合、それを相談者さんと話し合いながら一緒に考えていくのですが、1時間号泣し続けるという状態ではそれは不可能でしょう。
なので、カウンセラーがうまく寿美花代さんの感覚をとらえ、これなら大丈夫だろうという行動課題を推測する必要があったのです。
そして出てきたのが、「ケーキを食べて帰ってください」の一言。
実際、これはそのときの寿美花代さんにうまくはまったようです。
この行動課題をちゃんと寿美花代さんは実行して、ほんの少しの元気と希望を取り戻し、自分自身を内省することもできています。
ちなみに、僕のところに来た相談者さんで、「私も中越さんに、帰りにケーキを食べて帰ってくださいといわれたんだけど…」と思っている人がいるかもしれません。
それは、これを使わせてもらっているんです。
参考文献
朝日新聞より転載 [患者を生きる・バックナンバー]
シリーズ
患者を生きる
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ken-hari/kanjiatop2.htm
先輩カウンセラーYさんと僕の話
僕は先生の勉強会、関西人間関係研究会(KNC)に参加して、もう15年ほどになります。
そこでYさんというカウンセラーと出会い、一緒に勉強してもう13年近くになります。
たしか、僕がちょうど30歳になるかならないかだったので、多分13年だと思います。
もう正確なことは誰もおぼえていないだろうし、これを読んでいる人にはどうでもいいことだと思います。
ただ、重要なのは、当時の僕は自分自身がカウンセラーとして、すごく自信がなかったということ。
他のところでも書きましたが、独立してすぐに何冊か本を出版することになり、著者という肩書を見て周りの人から「すごいね!」といわれるようになりました。
でも、現実には一人のカウンセラーとしていかに自分が知識も経験も実力もないか、僕自身が誰よりもわかっていました。
だから僕は、いつか自分の化けの皮が剥がされるのではないかと、いつもヒヤヒヤしていたのです。
なので最初の1年か2年くらいは、よけいな発言はしないようにしておこうと、その勉強会でも二言か三言くらいしか話さずに帰ることもよくありました。
別に意識してわざとそうしていたわけではありません。
「僕なんかが発言して、的外れなことをいって迷惑にならないだろうか…。変なことをいって、恥をかかないだろうか…」。
そんな気持ちがあったのです。
そういうときにYさんが発表をする回がありました。
Yさんは僕よりもずっと先輩で、大きな組織で働いていました。
僕より知識も経験も実力もあるのは、話をしていてあきらかでしたから。
Yさんの発表の回で、僕は資料に書いてある、「OD」という専門用語がなんなのかわかりません。
でも、なんだか恥ずかしくて訊くに訊けませんでした。
「一応、プロのカウンセラーと名乗って活動をしているのに、こんなことも知らなくて大丈夫なの?」。
もしそう思われたらどうしようと思って、怖かったのです。
しかたがないのでその場では話を合わせて、家に帰ってグーグルで検索して「ああ、お薬を飲み過ぎちゃうことなんや」と知りました。
「話の流れから考えたら、そりゃそうやんな~。話聞いてたらなんとなくわかりそうなもんやのに…」と、思いました。
※メジャーな用語なので、これからカウンセリングを学んでいくみなさんも、知っておいて損はないと思います。
そのとき、
「いや~、もうこれだけ知識も経験も実力も違うのなら、いろんなことを気にしたってしゃーないわ。
もう、逆にどんどん質問して教えてもらうことにしよう。その方が得やわ」。
そう開き直ることができました。
実際、それくらい差があったと思います。
当時の僕は、働く人のカウンセリングといっても、健康な人のカウンセリングをすることがほとんどでした。
なので、心の病や発達障害についての知識や経験が、全然足りていませんでした。
Yさんはどんなことを訊いても、ニコニコしながらやさしく穏やかに教えてくれました。
僕があたふたと焦った顔をしながら、
「もし、こういうケースでこういうことが起きてしまったときって、どう対応したらいいんでしょう…?」。
そんなふうに勉強会で相談したときも、「私だったらこうするかも…」とやさしく教えてくれました。
ただ、それでも僕と意見が異なるときもありました。
「僕は少し違う考えで、こうこうこうで、こうなんじゃないかと思うんです」。
だんだん勉強会にも慣れてきて、ひよっこカウンセラーのくせに一人前に意見をいうこともありました。
そういうときにYさんは、
「ああ、そういう考え方もあるんですね。なるほど。私にはない視点でした。ありがとうございます」
というのです。
それが表面上そういっているのではなく、本当にそう思っていらっしゃるというのが、表情や口調からよく伝わってきました。
僕はなんだかうれしいような、ホッとするような気持ちになりました。
そして、「やっぱり、こういうのがカウンセラーって生き物やんな~」と思ったことを、すごく覚えています。
そういうことが何度かあって、だんだんと僕は自分の意見を言えるようになっていきました。
こういう関わりを通じて、僕のコンプレックスは少しずつ解消されていったように思います。
これはちっともカウンセリングの場面ではありません。
それでもこの話を紹介するのは、これからカウンセリングを学ぶ人にとって、とても重要な話だと思うからです。
なんというかYさんのこういうやり取りには、ロジャーズさんのカウンセリングの考え方に通ずるものがあると思うのです。
実際、ロジャーズさんはカウンセリングを心理療法の場面に限らず、教育、産業、家庭の中でも役に立つものとして発信しておられました。
これを書いていて、僕はカウンセリングに対する自分の考えに気づきました
僕はカウンセリングというものを、1対1やグループワークの中だけのものと考えていないようです。
「カウンセリングとは、何かしら対人交流の深まりがあり、それによって人間の心がより健康で健全に成長していくのなら、それはカウンセリングと呼べる」。
どうやら僕はそう考えているようです。
そしてこれは、「カウンセリングマインドを持って生きる」ということなのだと思います。
「せっかくカウンセラーになったのだから、24時間365日は無理でも、自分に出来る範囲で普段から無理なくカウンセリングマインドを持って生きていきたいな~」。
カウンセラーになりたいと思ったときから、僕の中にはどこかそんな気持ちがあったのだと思います。
これは僕だけでなく、多くの人が同じ気持ちだと思います。
そして、それを実践しておられるYさんに出会えたことが、とてもうれしかったのだと思います。
僕の前で、13年もずっとそうだったのです。
きっと実施のカウンセリング場面では、もっとカウンセリングマインドを発揮しておられるのでしょう。
Yさんだけでなく、先生の勉強会に参加している人は、みんな同じような態度で僕に接してくれました。
そのことは、僕をほんの少しカウンセラーらしい生き物にしてくれたと思います。
普段からカウンセリングマインドを実践して生きるというのは、やっぱりとても大変なことです。
こういうのは、あくまで努力目標でいいと思います。
僕の日常生活をモニタリングしてみたら、「何を偉そうに。ちっとも出来てないじゃないか」といわれること間違いなしです。
夫婦げんかもすれば、まだ1歳と少しの子供に振り回されることもしょっちゅうです。
ただ、それでも気持ちの上だけであったとしても、カウンセリングマインドを実践して生きていく。
それを意識して生きていった方が、僕の人生は幸福で豊かなものになるような気がするのです。
これからカウンセリングを学んでいかれる方が、僕と同じような気持ちになっていただけると、とてもうれしく思います。
コメントをお書きください